皆様、インドネシア経済の支配者たち「伝説の九龍」の話を聞いたことがありますか?日本語で検索しても情報があまり出てこないので、今回はこれをテーマにブログを書きたいと思います。
インドネシアにお住まいの皆様は、これまでインドネシア人との付き合いで「OKB(オーカーベー)」という用語を聞いたことありませんでしょうか。OKBは「Orang Kaya Baru」の略で、日本語に訳すと「新興成金」です。OKBとは、一世代の間に大きな富を築くことができた人々から成る社会階層のことです。OKBというフレーズは皮肉的で、否定的なニュアンスを持っています(日本語でも成金って誉め言葉じゃないですよね)。この社会階層の人々はしばしば良い趣味がないと言われ、見栄を張り、散財することが多いとされます。お金持ちで他人に自分の社会的地位を示すために派手なお金の使い方をする人々のことをインドネシア人はOKBと呼ぶわけです。
その逆で、「Orang Kaya Lama」若しくは「Old Money」という用語もあり、祖先から代々受け継がれてきた「古い金持ち」のことです。多くのインドネシア財閥はこの枠に入っており、Old Moneyの人々は上品で、変なお金の使い方をせず、またメディアなどを嫌がりあまり身分を表に出したがらず、プライバシーを優先するイメージが持たれています(そうでない人もいますが)。Old Moneyを代表する最も有名なのは、フォーブス・アジアが発表したインドネシア長者番付1位のハルトノ兄弟で、元々タバコ事業を成功させた財閥ジャルム・グループです。インドネシアの上場企業時価総額1位のBCA銀行の主要株主でもあります。
欧米では「影の世界政府」と呼ばれる世界的影響力を持つ人物が完全非公開で討議する秘密会議「ビルダーバーグ会議」が有名ですが、インドネシアでは冒頭でお伝えした「伝説の九龍」があります。彼らはインドネシア経済の支配者であり、Old Money / Orang Kaya Lamaです。インドネシア語や英語のメディアでは、“Sembilan Naga / 9 Naga / Geng Sembilan” や “Nine Dragons / Gang of Nine” で報道されることがあり、インドネシア国内では有名な存在です。
創業歴史、開催地や参加者などがある程度明確な「ビルダーバーグ会議」に対して、「伝説の九龍」の沿革や実態は実は不明確です。1999年5月末に『TEMPO』の記事で紹介され、インドネシア国内に「伝説の九龍」の名が知れ渡るようになりました。

調査:トミー・ウィナタの「マフィア」ビジネス
1999年5月末、TEMPOが大手Artha Grahaグループ総帥Tommy Winata氏(中国名:Oe Suat Hong)のインドネシア軍やスハルト家との関係性に導く成功のその裏に関する調査を報道していました。その中で、「TEMPOの複数情報源によると、Tommyが賭博(宝くじの運営)、麻薬、密輸事業を仕切る9人の一人『Gang of Nine』の一人である」と書かれています。ここで初めて『Gang of Nine』、「伝説の九龍」の名前が公に出ました。
今は宝くじが賭博と見なされ刑事罰の対象ですが、スハルト政権時は宝くじは合法で「PORKAS(Pekan Olahraga Ketangkasan:技能スポーツ週間)」「SDSB(Sumbangan Dermawan Sosial Berhadiah:報奨金付きの社会的寄付)」「NALO(Nasional Lotre:国民宝くじ)」などの商品名で流通されました。ご参考までに、SDSB単独の販売実績額は1998年単年では9,624億ルピアでした。インフレ率で計算すると、今の2兆7,055億ルピアに相当する額であり、約257億円です。
上記写真の右側では、当時の『Gang of Nine』のメンバーが述べられていますが、政権の変化と共に権力を持つ実業家も当然変わっています。また、『Gang of Nine』は闇事業を支配し恐怖の組織という印象が持たれていたので、今は『Sembilan Naga / Nine Dragons(九龍)』という名前で呼ばれており、インドネシア経済を支配する華僑系インドネシア人実業家のことを指します。
米系メディアCNBC社やインドネシアのメディア複数社などがそれぞれ、九龍メンバーの分析を行ったデータがありますが、今回の記事では、情報が一番最新であり、2021年にユニコーン企業となったインドネシア株式取引アプリ「Ajaib」が2024年1月4日に投稿した記事を参考にご紹介したいと思います。
1. Robert Budi Hartono(ロバート・ブディ・ハルトノ)
Robert Budi Hartono氏(中国名:Oei Hwie Tjhong)は、1941年に中部ジャワ州スマラン市で生まれ、財閥Djarum Group創業者Oei Wie Gwan氏の次男です。父親が亡くなられた後、兄のMichael Bambang Hartono氏と一緒にDjarumのたばこ製造事業を引き継いで拡大し、家電生産・販売事業、不動産開発事業などを展開しました。更に、1998年のアジア通貨危機にBCA銀行の株式を政府から買い取り、今は筆頭株主となっています。Hartono兄弟はフォーブス・インドネシア長者番付2023年版1位を獲得しています。Robert氏の長男Victor Rachmat Hartono氏は現在Djarum Groupの執行役員、次男Martin Hartono氏はベンチャーキャピタルGDP Venture社の代表取締役、三男Armand Wahyudi Hartono氏はBCA銀行取締役副社長を務めています。
2. Edwin Soeryadjaya(エドウィン・ソエリヤジャヤ)
Edwin Soeryadjaya氏(中国名:Tjia Han Poen)は、1949年ジャカルタで生まれ、財閥Astra Group創業者William Soeryadjaya氏の次男です。1997年に観光・創造経済大臣Sandiaga Uno氏と共同でプライベートエクイティ・資産運用会社Saratoga Investama社(IDX: SRTG)を創業し、投資先である大手石炭採掘会社Adaro Energy社(IDX: ADRO)の代表監査役を務めています。フォーブス・インドネシア長者番付2023年版39位を獲得しています。2015年6月から現在に至り長男Michael W. Soeryadjaya氏がSaratoga Investama社の代表取締役社長、2023年5月にAdaro Energy社の取締役に就任しました。
3. Rusdi Kirana(ルスディ・キラナ)
Rusdi Kirana氏は、1963年に西ジャワ州チレボン市で生まれ、1999年に設立された大手格安航空会社であるLion Airの創業者です。航空業界への参入は、1990年に兄のKusnan Kirana氏と共に航空券代理店および旅行会社Lion Toursを設立したことから始まります。航空会社の経営により、インドネシア空軍とも強いパイプを持っており、2014年1月から2019年8月までワヒド前大統領が創設した国民覚醒党(PKB)に副代表を務め、2015年にジョコウィ大統領検討委員会に任命され、2017年8月から2020年7月まで在マレーシアインドネシア大使など、政治家としての活躍もしています。Batik Air、Wings AirやSuper Air JetもLion Air Groupの傘下であり、現在インドネシア最大の民間航空会社です。キラナ兄弟はフォーブス・インドネシア長者番付2019年版38位を獲得しています。
4. Sofjan Wanandi(ソフヤン・ワナンディ)
Sofjan Wanandi氏(中国名:Lim Bian Khoen)は、1941年に西スマトラ州サワルント市で生まれ、1984年にGemala Group(現Santini Group)を創業し、自動車部品製造を主軸に、多岐にわたる事業を展開しています。政治活動にも熱心で、2008年から2013年までインドネシア経営者協会(APINDO)の会長、2014年から2019年までユスフ・カラ前副大統領首席専門補佐官(経済担当)を務め、政府との強い連携を保ってきました。2015年に在日インドネシア大使館から旭日重光章を受章しました。現在、Santini Groupの経営は二人の息子Lukito Wanandi氏とEmmanuel L. Wanandi氏が引き継ぎました。
5. Jacob Soetoyo(ジャコブ・ストヨ)
Jacob Soetoyo氏は、1978年にカナダのコンコルディア大学を卒業し、1980年にマギル大学で経営学の修士号(MBA)を取得後、インドネシアに戻り1954年に創立された家族経営のビジネスThe Gesit Companies(Gesit社)を拡大しました。現在は同社の会長を務めています。Gesit社はアルミニウムの精製・販売が主力で、そのほか不動産業・貿易業・資源事業・農業等を行っています。2016年に三菱地所、清水建設、Santini Groupと共同で、ジャカルタ中心部に所在する三菱地所インドネシア第1号案件「Trinity Tower」という大規模オフィスビルを開発し、2021年7月より稼働を開始しました。2014年4月にJacob氏の自宅で行われた会に、当時の大統領候補ジョコウィ氏をトルコ、アメリカ、メキシコ、バチカン、ノルウェーの大使に会わせたことがメディアで注目を集めていました。
6. James Riady(ジェームズ・リアディ)
James Riady氏(中国名:Li Bai)は、1957年にジャカルタで生まれ、1929年に創設された財閥Lippo Group創設者Mochtar Riady氏の次男で、今は同グループの最高経営責任者兼副会長として知られています。Lippo Groupは金融サービス、不動産、ヘルスケア、デパート・小売り、通信、教育など幅広い事業を展開しています。インドネシア商工会議所(KADIN)の副会長、国家経済会議と大統領特別補佐チームのメンバーを務めるなど、政治活動も行っていました。2001年にビル・クリントンの大統領選挙キャンペーンへの寄付により、米国連邦選挙法に違反したとして860万ドルの罰金を科され、西ジャワ州ブカシ県チカランで建設中のニュータウン「メイカルタ」事業の許認可に絡む汚職事件など政治的なスキャンダルも報道されています。
7. Tommy Winata(トミー・ウィナタ)
Tommy Winata氏(中国名:Oe Suat Hong)は、1958年に西カリマンタン州ポンティアナック市で生まれ、大手Artha Grahaグループ総帥として知られています。15歳の時、孤児のTommy氏はインドネシア軍人Tiopan Bernard Silalahi陸軍中将(スハルト政権下、1993-1998年に国家機関強化大臣を務めた)と出会い、兵舎の建設案件を任せられ、それを成功させたことで信頼を得てインドネシア軍と密な協力関係を築いたと言われています。不動産開発と金融サービスが彼の注力事業です。不動産大手Agung Sedayuグループの創業者Sugianto Kusuma氏と兄弟のような関係があり、Agung Sedayuグループが拡大できたのは彼が裏で支えていたからであると言われています。
8. Anthony Salim(アンソニー・サリム)
Anthony Salim氏(中国名:Liem Hong Sien)は、1949年に中部ジャワ州クドゥス県で生まれ、財閥Salim Group創業者Sudono Salim氏の三男です。Sudono氏はスハルト前大統領と密な関係を持つと言われており、開発独裁政策の展開の中、資源や食品の貿易、インフラ整備など様々な事業機会を得て、それがSalim Groupの始まりとなりました。Anthony氏は1970年代にイギリスの大学を卒業後、インドネシアに帰り家族の会社経営に参画し、今はグループの会長兼最高経営責任者です。Salim家はフォーブス・インドネシア長者番付2023年版5位を獲得しています。現在、多岐にわたり事業を展開しているが、代表的なブランドは、インドネシア国内市場シェア1位インスタントラーメン「Indomie」、日産・スズキ・日野などを製造販売する合弁会社「Indomobil」、2万店舗以上を持つコンビニチェーン「Indomaret」が挙げられます。
9. Dato Sri Tahir(ダト・スリ・タヒル)
Dato Sri Tahir氏(中国名:Ang Tjoen Ming)は、1952年に東ジャワ州スラバヤ市で生まれ、銀行・病院・不動産・保険・メディアなど様々な事業を展開するMayapada Groupの創業者です。2013年に財団Tahir Foundationを設立し、ビル&メリンダ・ゲイツ財団と共同でインドネシア社会健康ファンドを組成しました。同ファンドでは各財団が1億米ドルずつ寄付し、フィランソロピー(慈善活動)としても有名です。その後Dato Sri Tahir氏は2014年から2019年までジョコウィ大統領首席専門補佐官を務めています。Tahir家はフォーブス・インドネシア長者番付2023年版14位を獲得しています。奥様Rosy Riady氏は、財閥Lippo Group創業者Mochtar Riady氏の娘であり、実質James Riady氏の義兄です。
以上、『伝説の九龍』でした。最新データをもとに記述しましたが、諸説ある点ご了承頂けますと幸いです。最後まで読んで頂き、ありがとうございました。
